最終更新日 2024年4月15日

矢口敏和氏が考える哲学の可能性について

哲学を知らなくても問題なく生きていく事が出来るという人も多数いるでしょう。
それはその通りで哲学を知らなくても生きる上で困る事は全くありません。

ですから要らないという人には要らないという事は間違いないのですが、いる人にとっては欠かすことが出来ないものでもあるという事も知っておいても良いでしょう。
特に困っている人にとってはこの哲学というものが大きな意味を持つことになる事が多々あります。

人は様々な事で悩んだり、苦しんだりするのですが、その要因が物事の本質が分からなくなることで悩んだりすることがあります。
自分はなぜ生きているのかというような事を考えたりすると、もう生きている意味が分からなくなるという事も納得出来たりする人もいるはずです。

何故自分がこれほど辛いのか、という事も考えたりする人も少なくは無いでしょう。
そうした人達からすると哲学を知っていると、これを心のよりどころのようにして強く生きていく事が出来るようになるという事があるわけです。

例えば自分がなぜ生きているのかという事に悩んでいる時に、両親の愛で自分が生まれていて、その愛によってこれまで生かされてきたという事を思い返すことが出来れば、それが生きる大きな力となるという事はあるでしょう。

両親の愛を感じれば自分が生きる意義を強く実感することが出来るようにもなると矢口敏和氏は強く言及しています。
辛い時には、人生は山もあれば谷もあるという事を知っていれば、今は他にだけれども必ず出口はあるので、それに向かって頑張るという事が出来るようにもなるわけです。

人によって言葉の意味というのは大きく受け取り方が変わる

つまり、人によって言葉の意味というのは大きく受け取り方が変わるという事が、ここに大きく関わってくる事になります。
同じ人であってもその時の境遇によって受け取り方は全く違う事にもなります。

幸せな時にであれば、そんなことは言われるまでもなく当然の事というような言葉が、苦しい時に聞くとその通りだ、それを糧にして頑張ろうという意思となって出てくるような時もあるという事です。

人はとかく感情に支配される生き物だという事を知っておく必要はあるでしょう。
そのため同じ言葉であっても必要な時とそうでないときがあるわけです。

気分的に乗っている時は別にどんな言葉も必要とはしなくて、常に前向きに考えて進んでいく事が出来るものではありますが、一束逆境になると人はすぐに落ち込んでしまう事になってしまいます。

この落ち込むというのが非常に不思議な感情でもあって、人にだけ存在する感情だという事も不思議なところです。
動物や植物ではこの落ち込むという事がほとんどないと考えられていて、多少落ち込んだりはするのかもしれませんが、それが行動に関わってくる事になるのはあまりありません。

必要なことを必要な時にするというのが野生の本能であり、それに感情的な事は一切かかわらないというのが動植物の常識ではあるのですが、知性というモノを獲得した人間は感情という世にもまれなモノを持ってしまったので、これによって行動が支配されてしまうという不思議な事をするようにもなってしまったわけです。

犬のようなペットになると感情を持ち、それを行動によって示すこともあるのですが、負の感情をもって動かなくなるというような事をするのは人だけだと考えても良いかもしれません。

動物の場合はそのような事をすればあっという間に生きていられなくなるという事があるのかもしれませんが、人があまりにも感情という不確かなものに行動を制約されているのは不思議な事だといっても良いでしょう。とてもこれが猿から進化したとは思えないぐらいです。

矢口敏和氏が見る人間の深層心理とは?

人は自分の行動を正当化する理由を心に求めるところがあると考えられます。
特に落ち込んでいる時にはその理由の根拠となる物が必要で、それになりえるのが哲学だという事になるわけです。

これを知っていると心の支えとなるだけではなく、行動する理由ともなるのでアクティブに生きる事も出来るようにもなります。
考え方が変わるというような事もあって、それまでとは同じ言葉を聞いても、反応として全く違う反応にする事も出来るようにもなるわけです。

それぐらいに心に影響を与えることになるので、ある意味では宗教的なところがあるのかもしれません。
宗教の場合は神という絶対的な存在がいるのに対して、哲学の場合は物事の真実というものがあるだけというところが違うのですが、共に心の救いを求めることが出来るという事が似たような感じを持たせるのかもしれません。

ただ宗教の場合は真実ではないので、根拠として薄弱になるという事が良くあって、これを補うために様々な物語のようなものが作られているという事があります。

神という目に見えないものを信じさせるために、さまざまな架空の物語を作ってそれを正当化しているという事をしているので、そこに根拠の薄弱性がありますが、それが無いので、確信を持って行動しやすいという事は言えるかもしれません。